韓国の仮想通貨(暗号資産)市場が、規制当局による新たなマネーロンダリング防止(AML)策の導入を巡り揺れています。

韓国金融委員会(FSC)および金融情報分析院(FIU)が発表した「特定金融情報法」の施行令改正案に対し、国内の主要取引所を代表する業界団体が「実務上の限界を超えており、市場に混乱を招く」として強い反対の声を上げています。

特に海外の仮想通貨サービスプロバイダー(VASP)が関与する送金において、一定金額以上の取引をすべて「疑わしい取引」として報告させる義務付けは、既存の監視体制を根本から覆す可能性を秘めています。

韓国規制当局の新たな一手:1000万ウォン以上の海外送金報告義務

今回の騒動の端端となったのは、2026年3月末に当局が提示した規制案です。

この改正案では、国内の仮想通貨取引所が海外のVASPと仮想通貨の送受を行う際、1000万韓国ウォン(約110万円相当)以上の取引があれば、そのリスクレベルにかかわらず「疑わしい取引報告(STR)」として当局に届け出ることを義務付けています。

現在、韓国ではマネーロンダリングの疑いがある場合にのみ報告を行う「リスクベース・アプローチ」が採用されていますが、今回の改正案はこの基準を事実上撤廃し、金額ベースでの一律報告制を導入しようとするものです。

当局側は、北朝鮮によるハッキングや海外への不正な資金流出を防止するための不可避な措置であると説明していますが、業界側はこれに対して「あまりにも行き過ぎた規制だ」と警鐘を鳴らしています。

業界団体DAXAが警告する「540万件」の衝撃

韓国の5大取引所(Upbit、Bithumb、Coinone、Korbit、Gopax)を含む27の登録VASPを代表する「デジタル資産取引所連合会(DAXA)」は、この規制案が施行された際の影響を具体的な数値で公表しました。

運用実務への深刻な影響とリソースの限界

DAXAの分析によると、新たな報告基準が適用された場合、主要5か所の取引所だけでも年間の疑わしい取引報告件数は、昨年の約6万3000件から540万件以上へと激増する見通しです。

これは単純計算で約85倍という驚異的な増加率であり、取引所のコンプライアンス部門が物理的に処理できる範囲を完全に逸脱しています。

比較項目現行制度(2025年実績)改正案導入後の予測
報告基準リスクに基づき判断1,000万ウォン以上の海外送金すべて
推定報告件数(5大取引所)約6.3万件約540万件以上
増加倍率基準約85倍
報告の性質個別の不審点に基づく金額による自動的・一律的報告

このような膨大なデータがFIUに送り込まれれば、当局側の審査能力もパンクすることは火を見るより明らかです。

DAXAは「意味のない大量の報告データが提出されることで、本当に追跡すべき重要な不正取引が埋もれてしまうリスクがある」と主張しており、規制の効率性そのものを疑問視しています。

規制と法の乖離:特定金融情報法を巡る法理的論点

業界側が反対しているのは、単に作業量が増えるからだけではありません。

今回の施行令改正案が、上位法である「特定金融情報法」の趣旨から逸脱しているという法理的な問題も指摘されています。

顧客情報の正確性検証義務に対する異議

改正案には、海外取引所との送受に際して「顧客情報の正確性を検証する義務」も盛り込まれています。

しかし、DAXAは「下位の規則によって、法律で明示されていない義務をVASPに課すことは不当である」と反論しています。

海外のVASPは韓国の法律に従う義務がないため、国内取引所が海外取引所の持つ顧客情報の正確性を100%保証することは実質的に不可能です。

このような「履行不能な義務」を課すことは、結果として国内取引所の過失を恣意的に認定する手段になりかねず、業界全体の法的安定性を損なう懸念があります。

激化する当局と取引所の攻防:相次ぐ行政処分と法廷闘争

今回の規制強化の背景には、これまで当局が国内取引所に対して行ってきた厳しい監視と、それに対する取引所側の反撃という文脈があります。

2026年に入り、韓国の主要取引所はFIUから受けた過去の行政処分を不服として、次々と法的措置を講じています。

Upbit、Bithumb、Coinoneそれぞれの事例

韓国最大の取引所であるUpbitを運営するDunamuは、2026年4月、FIUによる3か月の部分業務停止処分を不服とした訴訟の第一審で勝訴しました。

この訴訟は、未登録の海外VASPとの取引における本人確認(KYC)義務違反を巡るものでしたが、裁判所は「当局の処分には法的な根拠が不十分である」との判断を下しました。

これを受け、当局は直ちに控訴しており、泥沼の法廷闘争へと発展しています。

また、BithumbやCoinoneも同様のAML違反を指摘され、数か月におよぶ業務停止命令や数十億ウォン単位の制裁金を科されていますが、いずれも裁判所から執行停止の決定を勝ち取るなど、「規制当局の過剰な介入」に対して司法がブレーキをかける場面が目立っています。

このような状況下で発表された今回の1000万ウォン報告義務化は、法廷での敗北を挽回しようとする規制当局による「さらなる締め付け」であると捉える業界関係者も少なくありません。

ユーザーへの影響と市場の孤立化

もしこの改正案が予定通り2026年7月に施行されれば、一般のユーザーにも多大な影響が及びます。

1000万ウォンという金額は、中規模の投資家にとっては日常的な送金額であり、これがすべて「疑わしい取引」としてフラグを立てられることは、プライバシーの侵害や出金遅延の原因となります。

さらに、韓国独自の極端に厳しい規制は、世界のトレンドである「トラベル・ルール」の枠組みを越え、韓国市場を国際的な仮想通貨エコシステムから孤立させるリスクも孕んでいます。

利便性が低下すれば、ユーザーは当局の監視が届かない「分散型取引所(DEX)」や「個人ウォレット」への資金退避を加速させ、結果として当局が最も恐れる「不透明な資金移動」を助長するという皮肉な結果を招きかねません。

まとめ

韓国の仮想通貨規制は、今や「安全な市場形成」と「産業の首絞め」の境界線上で危ういバランスを保っています。

当局が目指す鉄壁のAML体制は、理想としては理解できるものの、実務を担うVASP側に年間540万件の報告という非現実的な負担を強いるものであれば、その持続可能性には疑問符が付きます。

今後、5月11日までのパブリックコメント期間を経て、7月の最終決定までにどのような修正が行われるかが注目の焦点となります。

裁判所が相次いで取引所側の訴えを認めている現状を鑑みれば、当局も一定の譲歩を迫られる可能性があります。

韓国が「仮想通貨先進国」としての地位を維持できるのか、それとも過剰規制によって市場が萎縮していくのか、2026年の夏は韓国仮想通貨業界にとって運命の分かれ道となるでしょう。